ヨガについてもっと知りたい方のために

ヨガはアートであり、サイエンスであり、フィロソフィーです。宗教とは異なるものです。ヨガは、こころ・からだ・たましいに働きかけます。人のからだ全体を見渡し、それぞれの部分がもっとも根本的なところで調和するように、働きかけるのです。もっとも根本的なところ---そこには、内なるまなざしが宿っていています。
ヨガの語源は、サンスクリット語の「ユグ」、結び目、あるいはつながりを意味します。ひとりの人のあらゆる部分---からだとこころ、こころとたましい---を結びつけ、統合していくこと。それによって、バランスのとれた、実りある人生をめざすのです。
ヨガは、わたしたちを大いなるものへと結びつけます。ヨガを学ぶ人は、自らの内なる世界を知るようになります。また、自らをとりまく世界に対する気づきを与えられます。そして、生きとし生けるものすべてにあふれる、大いなる喜びに触れるのです。

ヨガのセッションは、「オーム(OM)」というマントラを唱えるところから始まります。続いて、「パタンジャリ(Patanjali)」を唱えます。「オーム」とは、永遠を表す音です。この宇宙的な響きは、わたしたちを内なるところへと導きます。それによってわたしたちは、自らの内にこのうえない幸せが満ち満ちている、ということに気づかされるのです。音の振動は、わたしたちの内に宿る、聖なるものに対する気づきを表現しています。
「オーム」はア…ウ…ム…という、三つの切り離すことができない音の波からなっています。音の後に、沈黙が続きます。アの音は、マクロコスモスとミクロコスモスの源をあらわします。ウの音は、たましいの波動を、ムの音は身体を表します。身体、波動、すべての源となるところのもの、それらを越えたところに、純粋な意識が立ちあらわれるのです。純粋な意識、すなわち沈黙へと、オームは溶け出していきます。

パタンジャリは、紀元前500年から200年ごろの人であるといわれています。パタンジャリの伝説をひもとき、ヨガのマスターについてお話ししましょう。
パタンジャリは、「マハビヤサ」という書物を著しました。この本の中で、パタンジャリは、ヨガ・ダーラナについて語っています。ヨガ・ダーラナとは、たましいの鏡のことです。
「マハビヤサ」に続いて、パタンジャリは「アーユルヴェーダ」を書きました。生活と健康についての本です。パタンジャリは、いくつもの原理や方法を、ひとつのヨガへと統合します。そして、196の格言からなる「ヨガ・スートラ」を著しました。今から2200年前のことです。
スートラは、異なる理論と実践に分かれていた流派をひとつにまとめあげ、ヨガの集大成を実現しました。ヨガをかたちづくっているあらゆる要素をとりあげ、それらが互いにどのように結びあっているのかを明らかにしたのです。

パタンジャリによって提唱されたヨガの8つの原理について、お話ししましょう。これは「アシュタンガ・ヨガ」(ヨガの8つの柱)と呼ばれています。この8つを、たゆまず実践することによって、真なる自己への気づきをめざすのです。それが、ヨガの究極の目的です。

ヤマ 普遍的な倫理:暴力の否定、誠実であること、盗みを働かないこと、性欲をおさえること、物欲をおさえること。
ニヤマ 自らの行いを律すること:けがれなく清らかで、満ち足りていること、ヨガの学びに専念していること、質素であること、書物をひもとき、自らについて学ぶこと、しがみついているその手を放すこと。
アサナ さまざまなポーズを学ぶこと。
プラナヤマ 呼吸をコントロールすること。
プラティヤハーラ 自らの内側と向き合い、自らの感覚をコントロールすること。
ダーラナ 集中すること。
ディヤナ メディテーション。
サマディ エゴ(自我の感覚)が、メディテーションのうちへと溶け出すこと。はっきりと目覚めた意識の状態。


クラスの始まりに唱えるパタンジャリは、祈りというよりは、パタンジャリが作り上げた体系に、感謝と敬意を表する伝統的なやり方です。それを唱えることによって、わたしたちは宇宙的な意識がとてつもなく大きな広がりを持っていることに気づき、自分自身もまたその一部であることを知るのです。わたしたち自身の中に、たましいの威厳、真実、至福、沈黙、知恵が映し出されるのです。


パタンジャリを唱えます

 ヨゲナ チタシャ パデンバ ヴァチャム
 マラム サリラシャ チャ ヴァイディヤケナ
 ヨパカロタム パヴァラム ムニナム
 パタンジャリム プラン シャリラナトスミ
 アバフ プルサカラム
 サンカ チャクラ シタリナム
 サハスラ シラサム スヴェタム
 プラナマミ パタンジャリム

(すぐに暗唱できなくても、ご心配なく。繰り返し唱えることによって、自然に覚えることができます)

パタンジャリの意味を教えましょう

気高き賢者パタンジャリの前で、わたしは頭をたれる。パタンジャリは、こころの清らかさと落ち着きのためにヨガを、澄みきった純粋なことばのために文法を、すこやかなからだのために薬を与えた。パタンジャリの前に、わたしは身を低くしてひざまづく。パタンジャリは、アディセサの生まれ変わり。その上半身は人のかたち、手には巻き貝と円型の盾を持ち、1000の頭を持つコブラの冠をかぶる。ヨガのあるところには、栄えと至福と自由とがあふれる。

パタンジャリを唱えた後、アイアンガー・ヨガのアサナ(ポーズ)とプラナヤマ(呼吸)を、ラジェイの指導のもとで学びます。セッションの終わりには、数分間のメディテーションを行い、今一度「オーム」を唱えます。

BKS アイアンガーとアイアンガー・メソッドについて

BKS アイアンガーは、世界的なヨガの巨匠です。60年以上にわたり、ヨガの実践と教育に携わってきました。数えきれないほど多くの人々が、アイアンガーについてヨガを学び、世界中にアイアンガー・ヨガ・センターが設立されました。アイアンガーは、ヨガの実践と原理について、数多くの著作を著しています。『ハタヨガの真髄』、『ヨガ呼吸・瞑想百科』、『ヨガ芸術』など。BKS アイアンガーは、ヨガをやっている人たちの間では、たいへんよく知られた指導者でした。1952年、バイオリン奏者イエフディ・メヌヒンとの出会いをとおして、BKS アイアンガーは世界的に知られるようになります。メヌヒンは、ロンドン、スイス、パリなどにアイアンガーを招きました。アイアンガーは、世界各国からやってきた人々と出会い、彼らにヨガを教えたのです。
アイアンガー・メソッドは、アサナ(ポーズ)とプラナヤマ(呼吸をコントロールすること)を学ぶところから始まります。アイアンガーは、200を越える古典的なヨガ・アサナと14のプラナヤマを体系化しました。シンプルなものから、非常に難易度の高いものまで、ポーズと呼吸は、いくつもの段階にわけられています。初心者は、基本的なポーズから徐々に難しいポーズへと、無理なく、確実に進んでいくことができます。そのプロセスにおいて、わたしたちは、こころ・からだ・たましいのしなやかさ、強さ、感覚の鋭さを身につけるのです。

アイアンガー・ヨガは三つの点を特に大切にしています。第一に、まっすぐな正しい姿勢。解剖学的に裏付けられた正しい方法によって、ゆがみのないからだを作ります。正しいポーズを学べば、からだを傷つけたり、痛みが生じたりするようなことはありません。一人ひとりのからだは異なっていて、弱いところ、強いところは人それぞれです。BKS アイアンガーは、正しいポーズをするために、からだを補助する用具を開発しました。たとえば、木製のブロック、椅子、毛布、ベルト。用具を用いることによって、それぞれの人のからだに合った範囲で、ポーズを行うことができます。安全で、効果的な練習をすることができるのです。
アサナとプラナヤマが、病気の治療を行う上で効果的であることは、何百年も前から知られていました。BKS アイアンガーは、ゆがみのないからだと正しい練習方法が、ヨガの持ついやしの効果を高めることを、繰り返し述べています。アイアンガー・ヨガを続けていると、痛みが取り除かれるのです。経験豊富な指導者は、さまざまな病気(かなり重い病も含めて)の治療にあたることができます。アイアンガー・ヨガのアサナを実践するために大切なもう一つのことは、正しい順序にしたがうことです。順序よくポーズを積み重ねていくことによって、ひとつひとつの効果がパワー・アップするからです。また、持続も重要です。一つのポーズを、かなり長く保ちます。それによって、ポーズの効果がわたしたちの深いところまで行き渡るからです。

パラシャント・S・アイアンガー インタビュー

「私達は自身のこころとからだを超越している。私達は自身の夢さえも超越している。」


問:あなたは世界で最も有名なヨギのうちの一人と共に暮らしました。一番最初の記憶は何ですか?

答:普通の男のバックグラウンドを聞いてはいけませんよ。私はあなたが質問をするべき新時代を画するような人ではありません。どのようにして偉大になったのですか?と私に問うことは適切ではありません。偉大な人であれば劣悪な環境にあったことが称賛されるでしょうが、普通の人はそうもいきません。私が子供の頃頭が悪く、知能が未発達だったと言ったとしても、そうでしょうね、とあなたは言うでしょう。一方でグルジが生まれが卑しく、身体が悪く、知能が未発達だったと言ったなら、それを乗り越えたことがさらに大きな称賛に値するでしょう。私も同じ境遇にあったと言っても、人々はきっと、

今もそうだね、と言うでしょう。(パラシャント笑う。)彼は素晴らしき父であり、私は平凡な息子です。これら質問は、あたかも私が偉大で、いかに超人的であるかを明かすためにあるかのような個人的な質問です。

(パラシャントの最初の記憶は)何も特別なものではありません。私達はどこにでもいるような一般的な家族でした。グルジは当時偉大ではありませんでした。人々は彼は無鉄砲であると思っていました(なぜならば当時ヨガの指導というのは普通でない職業でしたから)。

彼は素晴らしき父であり、私は平凡な息子です。

問:あなたはバイオリニストとして大きな成功を収めました。あなたはなぜバイオリンを始めたのですか、そして人生においてどのような意味がありましたか?

答:私の人生において音楽は重要なものでした、バイオリンが、ではありません。私は音楽を奏でました、そして音楽は歌であってもどのような楽器であっても影響力があります。音楽が私の素質に、感情的能力、そして感情知覚に影響を及ぼしました。私の母もまた音楽家で、歌手でした。音楽は私達の血に流れていました。私達の傍には多くのオーディオとコンサートがありました。

問:人生初期の頃、主にお母様を通して音楽が溢れていたようですね。

答:当時私は、現在では亡くなっているクラシックの有数の音楽家による音楽をいくばくか聴きました。かつては彼らのコンサートに行っており、私は大きな影響を受けました。私が学び手であった時にも影響を受けました。私は音楽の聴き手であっただけではなかったので、彼らの個性や性質を違った風に捉えていました。普通人は音楽が好きなのでコンサートに行きますが、私は音楽家だったので単に耳触りの良いものというわけではありませんでした。音楽の学び手だったので、彼らがどのようにして歌うのかだけではなく、彼らの想像力についても学びました。

西洋音楽は技術だけがものをいいます。声が良いか、良い技術を持っていなければ楽曲を歌えません。創造性が入り込む余地はほとんどありません。インド音楽は99パーセントが創造性で、たった1パーセントだけが楽曲に依拠します。

音楽の学び手だったので、彼らが何を歌おうとしているのかを感じ取ることができました・・・彼らの感情面での個性、人生の歴史等が理解できることは素晴らしかったです。私は60年代と70年代のマエストロを聴きましたが、その中にはパンディット・クマール・ガンダーバ、ビムセン・ジョシー、アーミル・カーン、Badegulam ・アリー・ハーン、ジテンドラ・アブヒシェッキ、1965年以前のラヴィ・シャンカル、1980年以前のビラヤット・カーン、ビスミッラー・カーン、ラムナラインが居ました。

問:ユーディ・メニューインがあなたのお父様にとって最初の西洋との出会いとなりました。彼についての最初の記憶は何ですか? 答:彼は伝説的音楽家でした。彼の名を知ってオーディオで彼のバイオリンを聴いてからバイオリンを始めました。彼は私がバイオリンを始める刺激となりました。1961年、私が13歳の時でした。

問:何を聴きましたか?何に心打たれたのですか?

答:グルジがメニューインのLPを何枚か買ってきました。私は特にバッハ無伴奏、そしてモーツアルト、そして彼の妹ヘプシバがピアノを弾いているベートーベンスプリングソナタが好きでした。1962年に彼は妹と共にインドに来て、ムンバイにあるグルジのセンターを訪れました。私は彼には会いませんでした、私は当時まだ子供でした。

問:そしてメニューインに演奏して聴かせましたね。
答:1969年に彼に会い、ムンバイにある家のテラスで彼の為に演奏しました。私は少し興奮していましたが、不安ではありませんでした。人々はパーティをしにやってきました。私と私の妹はテラスで約2時間音楽を演奏して人々を楽しませました。演奏中、メニューインは私から5フィート先のところに座っていました。

問:なぜバイオリンの演奏をやめたのですか?

答:事故にあい、もうバイオリンを演奏できなくなりました。1979年でした。高速道路での事故でした。私達の車とトラックが衝突しました。何も失ったとは言いません、全ては私達の為に起こるのですから、私はそう信じています。

問:あなたに大きな影響を与えたものにはどのようなものがありますか?

答:私の人生には前世が貢献していることがいくつかあります。これは見えないものであり、先祖伝来のものです。誰が私に影響を与えたかはわかりません。前世の痕跡であり、潜在意識の痕跡が私の人生に非常に大きな貢献をしました。今日人々は自分の教父、影響を及ぼした人を明かして、「この人がために」「私はこうなった・ああなった」と言います。これは物質世界で起きることです。しかしながら精神世界においては、影響を及ぼすのは人だけではないのです。

前世にはとても多くの指導者が居ました。私は生まれ変わるたび、生まれ変わるたび上昇しました。この人生においてグルと対面することは私にとって重要なことでした。私達が上を、上を見られるように踏み台になった人々を忘れることは正しくありません。これは私が生まれつき持っていた痕跡、サムスカーラなのです。

あなたの性質はあなたのきょうだいの性質とは異なるでしょう。私の性質は私のきょうだいのそれとは異なります。私達は同じ親から生まれ、同じものを賜ります。なぜ私達は異なるのでしょうか?

それは、前世が原因です。私達は異なったものを携えてきます、だから兄弟同士、兄弟と姉妹で、大きな違いがあるのです。それぞれが違った可能性を持っています。それが前世です。それが人類に与える大きな影響なのです。

施設の会館間近に、パラシャント・S・アイアンガーはR.I.M.Y.I.の祭壇を彼の甥、カウシックに見せました。二つ目の場所では、私の人生には突然の急激な変化はありませんでした。私の人生は生まれた瞬間与えられた通りの道を歩んでいます。何も私を大きく変えたりはしません、クリシュナやグルジでさえも。子どものときから私は変わりません。今でも私は平凡な男です。私の人生では何も特別なことは起きていません。生まれもった勢いで進んでいます。これまで私は飛躍的に前進し突然一夜にして変わるということはありませんでした。そのような変化は私には起きていません。私は普通な一般的な男で、ただその勢いで進んでいるだけなのです。

問:音楽は創造的なインスピレーションで名高く、あなたの人生にも影響を与えたでしょうが、音楽による影響は続きましたか?

答:音楽は私に長きに渡って影響しました。全人生が影響を受けています、感情の素材です。インド音楽は神に捧げるものであり、音楽に神々しさの片鱗が見えます。今日私は多くの音楽を聴きます。殆どがインドのクラシック音楽で、時々西洋のクラシックを聴きます。コンサートは夜遅くに開かれるのでこの20年間私はあまり多く行っていませんが、私は沢山の音楽、オーディオを聴きます。

問:お父様自身のグルジ、スリ・クリシュナマチャリアはあなたにどのような影響を与えましたか?

答:私が初めてクリシュナマチャリアに会ったのは1962年でした。彼は既にとても歳をとっていました。彼は柔軟な思考、哲学的に柔軟な思考をする私を気に入りました。彼がとても学者的な人だということを知っていたので、ある哲学的教義について話しあったものです。私がその年齢で例えばヴェダンタ等の哲学的教義についてあれほど学んでいたことに彼は驚いていました。

母は私にとって憧れでした。彼女の性質、彼女の忍耐力、彼女の高潔さ、彼女の寛容さ。

問:グルと父の違いは何ですか?お父様は父として、そしてグルとしてあなたにどのような影響を与えましたか?

(またしても、パラシャントはユーモアを交えて答えた。)私は平凡な男です。グルがいるならば、グルを称賛しなければなりません、グルを貶めてはいけません。あなたがバイオリンをキーキー言わせてメニューインの弟子だと言ったら(適当ではない)・・・学び手にグルについてきいてはいけません。恥になります。でもグルに優れた学び手について語るようお願いしてもよいでしょう。

ヨギには自身のからだと呼吸があります。
この呼吸は絵描きの道具になります、その具現化がカンバスです。

問:何千もの人々があなたとあなたの家族と共に学ぶ為に世界中から訪れます。彼らはあなたにどのように貢献しましたか?

答:私は彼らの人生に貢献するためにここにいます、彼らに私の人生に貢献してもらうつもりはありません・・・基本的に私は彼らに貢献するためにここにいるのです。私が貢献したかどうかを判断するのは彼らです。

私はヨガという題目を彼らに教える為にここにいます。教えることで、私は学びました。生徒が私の人生の進展を促してくれました。私はあなたから学んだから、あなたは私から料金をとっていいですよと私は生徒に言います。西洋人でもインド人でも、どんな生徒でも貢献します。生徒から私達は能弁を学びます、交流を学びます。

問:ヨガの何が世界において、特に現在、価値をもたらしているのでしょうか?

答:ヨガは世界にとっての賜物です。しかし人によっては消費製品になっています。もしヨガが世俗的なものでないなら、ヨガは世界中のものではありえません。世界の賜物であると同時に消費製品、消費物になっていて、私はそれに物凄く反対しています。

消費物はいつだって魅力的で、いつだって欺瞞的です。消費者はいつだって騙されます。私の商品はとてもいいよ、買う?と彼らは言います。商品はいつだってより魅力的な、表面的な価値がなければなりません。もしもヨガがその方向性に進むというなら、私達はより折衷的な商品を提供しなければなりません。もしそうなればそれは偽ヨガです。

私はヨガを教えています、私はヨガを伝播させているわけではありません・・・ヨガの宣伝者はいかにヨガが世界にとってよいか、いかに身体的疾患を改善するか、あなたのありふれた人生の助けになるかを言います。私は消費物はいりません。私はこの題目の教師です。この題目の私のコンセプトは、世界のためのものではない、世界中の題目ではないということです。もし、世界中に向けたものであるというならば、それはありふれた題目、世界中の題目になりますが、ヨガは崇高で、深遠なのです・・・私はみんなの為のヨガを教えているのではありません。それはヨガの本質ではありません。

問:「西洋の思考」がヨガの本質を捉えにくくしているということについてはどうでしょうか?

答:基本的には、西洋の思考だけではありません。東洋の思考でさえー物質的な人々はー基本的に私達のこころとからだが私たち自身であると考えています。私達は自身のこころとからだを超越しているのです。その為、私達は私達自身が思い込みたいものとは違います、私達は自身の夢だって超越しているのです。

物質的な人はこれを信じません。そのような人は、自身のこころとからだの先には何もないと考えます。しかし私達は自身のこころとからだを超えて存在しているのです。これに疑いを持っている人には、ヨガを教えることは困難です。私達は永遠なのです。私達は生まれないし、死なないのです。ヨガの学び手になりたいのなら、これを信じなければなりません。これを信じなければ、ヨガの本質は学べません。表面的で、今この場所でこの時だけの何かを学ぶでしょう。ヨガは今この場所でこの時だけのものではないのです。

神、業、生前と死後の世界を信じていない人にはヨガを教えるのはとても難しいです。西洋人であるかどうかに関わらず、物質的な、世俗的な、無神論の、世間的な人にヨガを教えるのはとても難しいです。

問:あなたは「音のないヨガはないし、ヨガのない音もない」とおっしゃいました。音はヨガに対し、アサナ、プラナヤマに対しどのような影響がありますか?
答:ヨガは瞑想です。瞑想するには没頭することが必要です。没頭のない瞑想はありません。瞑想は分解を要します。ナーダ(これの英単語はないし、この単語の定義もない)からの音は、こころが分解できます。そうでなければ、こころはナーダでのみ分解します・・・

ヨガマントラがなければ、ヨガは存在しないと言えるでしょう。ヨガは常に瞑想です。詠唱しなければ、心を奪われません。心を奪われなければ、瞑想できません。マントラは詠唱であり、詠唱はマントラです。考えがなければ、瞑想もありません。全く考えがなければ、瞑想はできません。考えを制限できるように、考えに没頭できるっように、考えを持っていなければなりません。考えの深さが求められます。深い考えでなければなりません、そして初めて瞑想ができます。どんな考えも言葉の組み合わせです。言葉がなければ、考えはありません。言葉とはなんでしょう?小さな文字の組み合わせです。もしも考えから言葉を取り除いたなら、考えは無になります。もしも全ての音を取り除いたなら、言葉はなくなります。言葉がなければ、瞑想は存在しません。

ノートパソコンやお金について瞑想することはできません。神や自然、超絶性についての瞑想はできます。形而上学的原理は瞑想の中心です。世俗的で、経済問題について瞑想している、ということはできません。なにか卓越したものについて瞑想しなければならないのです・・・

ノートパソコンやお金について瞑想することはできません。なにか卓越したものについて瞑想しなければならないのです。

静かに座るには、こころの中にすぐに穏やかな状態を作り出せる環境にいるのが良いでしょう。空港のターミナルで、ここで静かにしていたい、ということはできません。超越的な状態になるには神聖な場所にいなくてはなりません。なぜお香をたくのか?このような空間を作り出すためです。瞑想はマントラ、ナーダー、考え、崇高な概念、形而上学、非日常(で行うことができる)・・・これらは全て言葉でできています。言葉は文字でできています、文字は音でできています。

現代科学ではビッグバンと呼ばれています。私達はオームと呼んでいます。

問:外界の音があります。内なる音があります。声帯で作られた音があります。静寂の音というものは存在しますか?もしあるのなら、それはどのようにして作りますか?そしてヨガとはどんな関係にありますか?

答:静寂とは音のないことではありません。静寂とは聴くことが欠けていることです。音が失われることはありません、どこに行こうとも音があります。あなたは宇宙から逃れることができますか?宇宙は音でできています。なんであっても原子より小さいレベルでは陽子、 中性子、電子でできています。それと似たように、全宇宙は音の粒子で成っています。宇宙は音に他なりません。これは形而上学です。だから最初の創造はビッグバンだと言われています。ビッグバンから宇宙が生まれた。これは現代物理です。宇宙が音から始まったと認めているのです。現代科学ではビッグバンと呼ばれています。私達はオームと呼んでいます。

現代科学は宇宙は音から生まれ、その他すべては宇宙から生まれたことを認めている。どんなものも宇宙から生まれます。宇宙は全てにとっての子宮であり、宇宙は音という子宮からきます。Shubda tan mantra・・・

もしも素晴らしい音楽家が歌っていたらドンキーはなんというだろうか?私達は皆素晴らしい声、素晴らしい音色、素晴らしい音楽を称賛します。しかしドンキーは、なんでこの人間はこんなに騒音を立てているのか?と言うでしょう。

問:ヨガと音の関係について古代の経典にはどのようなことが書かれていますか?そしてあなた個人としてはこの研究についてどのように貢献しましたか?この件についてあなたオリジナルの洞察にはどのようなものがありますか?

答:プラーナマヤコーシャをよく見てみると、音の現れ以外の何ものでもありません。形而上学では全てのエネルギーは音の現れです。音がなければ、エネルギーはありません。だからプラーナマヤコーシャがエネルギー体なのです。エネルギー体全体が音の現れなのです。

英語には26文字ありますが、サンスクリット語には50の音の形があります。6つのチャクラの中に50の花弁があります。50の音の形に50の花弁があります。シヴァの配偶者であるシャクティの惑星には50の聖堂があります。それらほとんどがインドの亜大陸にあります。聖堂にはそれぞれ一文字あるので、50の聖堂があります。

神酒が撹拌され出されたという神話があります・・・女神が神酒を天国へと運び、何滴かがこぼれました。50滴が地球に落ち、これがサンスクリット語の50の音の形になっています。

問:お母様はあなたのお父様と彼の研究にインスピレーションを与えました。お父様は常々お母様に感謝の念を述べ、施設に彼女の名前を用いるようにと言っていました。お母様はあなたにはどのような影響を与えましたか?現在も受けている影響にはどんなものがありますか? 答:沢山あります。私のこころの性質は多く母からの影響を受けています。母は私にとって憧れでした。こう言ってはなんですが、母は私にとって父よりもずっと大きな象徴でした。私の母は私にとってより大きな象徴でした。彼女の性質、彼女の忍耐力、彼女の高潔さ、彼女の寛容さ、彼女の親切さ、どれもが素晴らしいものでした。

彼女はほとんど怒りを持たない人間でした、彼女の寛容さ、高潔さ、穏やかさ、忍耐力は素晴らしいものでした。

問:あなたの現在の研究はどのようなものですか?今取り組んでいるものはなんですか?

答:私は哲学について正式な研究をしたことがありません。独りで読んで独学しました。私には意思がありました。私は独りで研究に取り組みました。そして前世から、ものごとが訪れました。(彼の最新の本はヨガについての論文であるとパラシャントは私達に教えてくれました。彼は一日一時間執筆をしています。)

問:書くことは好きですか?

答:はい。人が話せることと書けることは違うからです。優れた演説家は話すのが上手ですが、うまく書くことはできません。書いているとき、私の創造性は教えているときにはない流れになります。教えているときは、ある方法で話し、書くときは別の方法で話します。私が教えることは、文字にすることはできません。私が書くことは、私は教えることはできません。音楽が貢献しました(彼の執筆に)。音楽は私達に言葉以外のものを表現させてくれます。私の執筆能力、能弁と演説は、音楽のおかげで向上しました。

問:ヨガと科学にはどのような関係がありますか?
答:ヨガに対する物理学者の見方は(正しくありません)。ヨガは物理や医学ではありません。ヨガはそれ自身が科学なのです。ヨガという科学は人間の物理学と形而上学の両方を扱います。自然に対して人間はどのようなものなのか、人間に対して自然はどのようなものなのか?これがヨガという科学が私達に与えてくれるものです。

人類の科学は医学のみを取り扱います。これは人間の .00001パーセントにもなりません。人間とはそれよりも遥かに大きなものです、私達は単に肉体の身体だけではないのです。犬、馬、牛には大差がありません。牛は過去10,000年間変わっていません、未だに草を食べています。しかし人間はどうでしょう?10,000年前に食べていたものはなんでしょうーそして現在ではパスタやピザを食べています!人間は変化しているのです。

ヨガは人類の、人間の物理学と形而上学について議論します。

こころの源は何かというような簡単なもの。現代の心理学ではこころの源は潜在的な傾向、こころの源はつまらぬものだと言います。メタ心理学ではそうではなくて、宇宙のこころにあると認識しています。

私が言ったように、ビッグバンは物理で、オームは形而上学です。月、火星、太陽、他の惑星は宇宙飛行士や天体物理学者が研究しています。天体物理学者は物理学的観点から月の研究をします。私達は異なった見方で月を捉えます、私達は月は狂気と、金星は情熱と、土星は悪質さと関連付けます。天体物理学的観点からは金星と火星に差異はありません。しかしなぜ火星には火星の影響があり、火星の性質があるのでしょうか?グルジのチャートはとても強い火星の性質を有しています。グルジは決して人々の背後におさまりません、彼はいつだって人々を導き、駆り立てるのです・・・

占星術師は違った視点を持っています。あなたにとってパラシャントは何ですか?私が道を歩いて、誰かが私を見る。あなたは指導者として私を崇拝しているから、私のことを彼らとは違った見方をする。放射線科医の元へ行けば、彼は私の病状をみるだろう。しかし人相占いの易者は私から違うことを読み取るだろう。私は同じだ。あなたは私を崇拝する、あなたにはひとつの見方がある。他の、私のことを好きでも嫌いでもなくて、なんの愛着も嫌悪もない人は、私をまた別の見方をするだろう。私が放射線科医の元へ行けば、彼は私を異なった見方をする。

それぞれが皆異なった視点を持っていて、それぞれがパラシャントについて異なったことを打ち明けるだろう。彼らは皆正しいかもしれないけれど、彼らはパラシャントの全てを投影してはいない。

もしもあなたが芸術家で鉛筆を渡されたなら、あなたは何かを描くだろう。ヨギには自身のからだと呼吸がある。

問:ヨガと芸術にはどのような関係がありますか?

答:もしもあなたが芸術家で鉛筆を渡されたなら、あなたは何かを描くだろう。ヨギには自身のからだと呼吸がある。呼吸は画家の芸術作品の為の道具となる。呼吸は芸術の装置として使われる、呼吸の芸術がある。その具現化がその芸術のカンバスです。

問:あなたは指導にユーモアを用います。しばしばあなたはとてもおもしろい!教えと学びの場面におけるユーモアの役割を教えていただけますか?
答:はい、ユーモアはなければなりません。食べ物を食べるときには、メインディッシュの味を高めるサイドディッシュが必要です。そうでなければメインディッシュはあまり美味しくありません。真剣な題目が教えられているとき、その間に何かもっと軽いものがあれば、より理解度が高まります。そうでなければ20分しか続けられません。20分続けて読書できるというけれど、それ以上はできません。


ヨガについてもっと知りたい方に、おすすめします

BKSアイアンガー『ハタヨガの真髄』白揚社1980年
BKSアイアンガー『ヨガ呼吸・瞑想百科』白揚社1985年
BKSアイアンガー『ヨガ芸術』白揚社1987年

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